3−20.2000系「なの花(2代目)」引退
2013年4月28日、2000系「なの花(2代目)」が引退しました(※取材は、大井駅所長です)。

まずは馬橋駅での1枚。何度となく入線してきた馬橋駅も、今日で最後です。

「急行」の種別札を模した「惜別」札。

運転台。

車内には特別な掲示もなされました。

最後の交換相手は、「流星」です。

何度となく渡ってきた坂川も、この日が最後。

坂川を渡る光景も、見納めです。

路地の横、青空の下を快走。

新緑の新坂川沿いをいつものように走り抜けます。

小金城趾駅に停車中。

10往復運転されましたが、そのうち3,4往復目は「快速」の種別札を模した「惜別」札が。

5往復目からはHMが取り付けられるため、まもなく見納めとなる愛称板。


定番ポイントの14号踏切(小金城趾駅付近)。

5往復目からは、HMが提出されました。

「哀別 なの花」。縦アンでHMを強調させてみました。

「青空」引退でも撮影した俯瞰ポイントで1枚。

小金城趾駅入線を、縦アンで。

交換相手の「流星」にもHMが取り付けられました。

両方ともHMが取り付けられた状態での交換風景。

幸谷駅〜馬橋駅のエリアでは、菜の花が咲いていたので絡めてみました。


こちらも定番ポイント、4号踏切。まずはHMが取り付けられた「流星」から。

「流星」のHM(最終便乗車のために馬橋駅に行ったときに撮影)。


4号踏切付近を走る「なの花」。自分も何度か通った場所だっただけに、思い入れのある場所でした。

馬橋陸橋からの俯瞰。ここで何度となく見てきましたが、もう最後なんです。

今回も最終便は乗車します。馬橋駅は大混雑。
運転士さんの「この電車は、なの花号の、最後の列車です」の車内放送。
途切れ途切れで、どこか涙で声を詰まらせている感じがしました。
そして私も、思わず涙が出そうになってきました。
1966年、西武鉄道でデビュー。1997年、流鉄に入線。
流鉄では16年間、西武時代も含めると47年間、走ってきたことになります。
各駅で汽笛を鳴らしながら、最後の走りを見せていくのでありました。

そして列車は流山駅に到着。この後、後輩の「若葉」に道を譲っていくのでありました。

流山方のHM。「奥秩父」風デザインです。

馬橋方。

馬橋方のHM。

最終列車には、「快速急行」の種別札を模した「なの花最終」札が掲げられました。


車番。これで、流鉄2000系は形式消滅となりました。

諸元表。

ワンマン化はこの「なの花」なしではできませんでした。


流山駅を見下ろせる駅反対側の高台から。


「若葉」「流星」との並び。

到着して1時間ほどが経過し、最後の走行となる入庫作業が始まりました。

車庫に向かって、最後の力走です。

運用に入らなかった「あかぎ」の隣に入庫しました。

そして作業員がHMを取り外し……。

元の愛称板の姿で、永遠の眠りに入りました。

最後は検車区の全体を。
これからは、5000系が流鉄を支えていくことになります。
〜ありがとう、「なの花(2代目)」 16年間、また西武時代を含めて47年間、お疲れ様でした〜
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