3−14.2000系「青空」引退
2012年7月15日、2000系「青空」が引退しました(※取材は、大井駅所長です)。
まずは定番の場所でのワンショットから。この日はこの場所も大盛況でした。
ラストランでの交換相手は「なの花」。往年の名コンビが復活した格好になりました。
なお、午前中はHMのない状態でした。
何度と渡った坂川を渡るのも、この日が最後です。
小金城趾駅に入線する「青空」。
新坂川と畑の間を、駆け抜けていきます。
HMを強調したくて、0角度縦アンをやってみました。
反対側も縦アンで。
春は桜が咲き誇るこの場所。その桜の木が緑になって、青空の引退を迎えます。
サプライズ企画として、なんと相方の「なの花」にもHMが付きました。
HMの拡大。左が馬橋方、右が流山方です。
幸谷〜馬橋間の定番撮影地、「4号踏切」にて。
HMの拡大。左が馬橋方、右が流山方です。
「青空」の引退日は、青空の一日でした。住宅街の中を駆け抜けていきます。
常磐線の線路を横目に、流山へと出発する「青空」。
この常磐線の線路も、あと一回となる時間でした。
最後の「青空」の流山行きは乗ることにしました。
馬橋駅ではご覧の混雑。車内も例を見ない大混雑となりました。
私は「青空」のいない流鉄は知りません。
それだけに、この日の引退は信じられない気持ちでいっぱいでした。
でもこれが最後だというアナウンスが流れると、不意に涙が出そうになりました。
涙をこらえながら、万感の思いで、最後の乗車を行いました。
この運転台を使うのも、最後です。
18年間、この下総路を走り続けてきた「青空」。
私にとっても思い出の多い車両でした。お疲れ様でした。
車両番号。「青空」こそが、2000系の第1編成でした。
検査標等々。実は、検査期限を考えるとあと4年は走れる車両だったのです。
それを考えると、本当に引退は惜しいところです……。
最終列車に提出されたサボ。
流山駅では1番線にて1時間ほど告別式(留置)が行われました。
最後まで悔いが残らないよう、駅舎の反対側の高台からも撮影しました。
この間、馬橋行きの列車は2番線からの発車となりました。
その2番線に停車中の「なの花」との並びです。
「青空」が運用を終了したのち、その運用には最新の「あかぎ」が入りました。
その「あかぎ」との並び。まさに世代交代を象徴するかのようなシーンでした。
改札口と「青空」。
思えば「青空」は、ワンマン化の一翼を担った車両でした。
このミラーも、「青空」なしではできなかったでしょう。
遂に1番線ホームを離れ、入換が始まりました。
車庫に入っていきます。
そして「流星」の隣に、入庫していきました。
「青空」の営業運転が終了した瞬間でした。
そしてそれは、私の知らない「青空」のいない流鉄が始まった瞬間でした。
これからは、新しく入ってきた5000系を中心に流鉄は生きていきます。
でも、各車両に愛称があり、愛着が湧くことに変わりはありません。
私はこれからも、流鉄を愛していこうと思います。
〜ありがとう、「青空」 18年間、お疲れ様でした〜
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